決して彼等のようではなく -182ページ目

ジブリ

ゲド戦記が不調らしい。

俺は見ていないが、一説によると、映画作り自体に稚拙な部分があると聞く。

息子さんの第1回監督作品だから、無理もないことかもしれないが。

いきなり最初から、偉大な親父を追い越そうなんてどだい無理な話かもしれない。

男おばさんがこの作品に対して微妙な評価をしていたのがわかる気がする。


俺的にはもう宮崎アニメ、というかジブリの作品には辟易している。

絵的な美しさ、ストーリーのメッセージ性など見事だと思うけど、

それがどうしたって言う感じ。


ジブリ作品において、美しくリアルな動きはもう当たり前になった。

現在のべた塗り的な表現方法のアニメーションでは、もうこれは限界にきているんじゃないか?

と最近の何作かを見ると、そう思えるのだ。

それは、以前は絵から受けていた刺激が、刺激でなくなってきている事を示す。

一度経験した刺激は、もう一度同じ経験を受けても、もう刺激ではないのだ。

刺激とは、常にさらなる刺激を与えないと、刺激でなくなるのだ。

その辺の限界を、宮崎アニメから感じてしまうのだ。

それともう一つ、(これが一番大事な点だが)

ストーリーのメッセージ性という意味でも、テーマが枯渇している、とまでは言わないが、

何かこう、伝えたいテーマというのが、作品から非常にわかりすらいものばかりだ。

要は、「難しい」ということ。

何回か見なければわからない、というか、何回見てもわからない人にはわからないだろう。

アニメーションという手法を用いた、多くの人を視聴対象とした作品で、これはいかがなものか?

メッセージ性が強い作品を否定する訳じゃないけど、

映画って、本来は娯楽であり、ある種のエンターテインメントなのだ。

楽しめるものじゃないとね。

そう、最近のジブリ作品には、見る人を楽しませる要素が欠けているような気がする。

上から目線を感じなくもないのだ。


次回作は、メッセージ性を少し抑えて、

気楽に、子供から大人まで誰もが純粋に楽しめるようなエンターテインメントを、

ジブリ的手法で見せて欲しい、というか、そういう作品を見てみたいと強く思うのだ。

眠れぬ夜

仕事に埋没する日々。


1ヶ月連続夜勤、とりあえず1週間、一仕事終えたところ。

予想以上のトラブル続きで、正直疲れたよ。

夜勤生活が続くと、生活のペースが狂うんだけど、

今回はかつてないほど酷い。

この時間になっても眠れない、明日は24時間勤務だとゆうのに・・・。

とにかく疲れも抜けない。


仕事は確かに充実している、完全に任されてるし、やりがいもある。

だけど、こんな生活していていいのか?といった疑問がついて回る。


元来俺は仕事嫌いだ。

仕事がいくらできたって、自慢できるのは所詮社内や取引先ぐらい、

会社の看板を下ろして一歩外に出れば、ただの人なのだ。

社会で仕事をできることを自慢したって、かっこわるいだけ。

こういうことを勘違いをした人たちがたくさんいる。

しかし、こういう人たちが日本の社会の価値観を作っているのだと思う。

そこに日本の歪みが生じているのではないか?


全てとは言わないが、

俺から見て、自分の生活を削ってまで仕事をする人は、

逆に言うと仕事しかできない人に見える。

仕事を取ったら、なんにも残らない人に見えるのだ。

自分に誇れるものがないから仕事にすがっている様にしか見えない。

仕事が出来ることは、確かに充実感はある。ある種快感だ。

しかしこの感覚に麻痺してしまうことを俺は恐れる。


俺の今の生活が、自分の一番嫌いな仕事人間に向かっている事を実感する。

どこかでこの流れを止めなければ、俺が俺でなくなってしまうよ。

こんなんじゃ、恋の一つも出来ねえ。


ということを、心のどこかに置きつつ仕事に取り組むことが、

今の俺には大事かな。

とにかく、現実として今の状況から逃げ出すことは出来ない。

心のバランスを常に保つよう努力すること、これにつきる。

その一つがこのブログでもある。

でも、何かもう一つ欲しいな。


2年前に見てもらい、びっくりするほど当たっていた横浜中華街の手相鑑定、

先日また見てもらった。

そこで、驚くべき鑑定結果が!!

かつて不満に思っていたことが、知らぬ間に解消されていたことに、

気づかされた!!

不満って、持つときりがないんだなと実感したよ。

その鑑定結果とは・・・・











ひ・み・つラブラブ




こいつを励みに明日からもがんばります!!

俺の携帯事情

携帯が調子悪い。

通話中、音声にノイズが乗り、

どうやらヒンジ部かマイク周りの接触不良のよう。

仕事でも使うし、とにかく酷使したからな。

今使っている携帯、vodafone 802N は、もう1年半以上使っている。

新しいのを欲しいなと思いつつも、欲しいと思える機種が見あたらない。

携帯を12年近く使っていて、こんな事初めてだ。

MNPを間近にしてタイミングの悪いこと、

場合によっては密かにドコモに乗り換えようかと思っていたからだ。


へそ曲がりな俺は、人が使っているものと同じ、というのが気に入らない。

そんな俺が選んだキャリアは、当時のデジタルホンだった。

当時、まだ持っている人が少なかったものの、

携帯といえば、デジタル方式(PDC、2G)はようやくまともなエリアになりつつある頃で、

本格的普及が始まったばかり、殆どがアナログ方式だった。

このアナログ方式、車で移動しながらの利用は、ところところでザーザーノイズが入って、

まるで遠方の放送局を受信するFMラジオのようで使いずらかった。


そんな中、最初からデジタル方式で音質の良さをアピールし、

社名にも新しさを見せようとその名を入れたデジタルホンは、

通信といえばNTTの時代に、鳴り物入りで登場したが、

東名阪でしか使えないこともあって、そのアピールとは裏腹に人気がなかった。

ただ、俺的には東名阪以外はまず出ることはなかったし、

その値段の安さも相まって、俺にはうってつけだった。

何しろ俺のまわりでは、誰も使っていなかったのだから。


最初に買った端末は、DP-142。

(確か当時の松下通信製、現パナソニック・モバイルコミュニケーションズ)。

当時、ドコモで圧倒的に売れていたデジタルムーバPⅡ のデジタルホン版で、

ロゴと色以外、殆どうり二つ状態、あれっ、Pの携帯だけど何か違う!?

というのがへそ曲がりの俺には嬉しかった。

本当は折りたたみのDP-111Ⅱ

(NEC製、これはドコモのデジタルムーバNⅡ とはちょっと違っていた)

が欲しかったけど、デジタルホンでもこれは値段が高くてあきらめた。

このDP-142を1年半使ったあと、初めての機種変更。

ブランドの安心感から、再び松下製DP-144に。

(デジタルムーバP201HYPER のデジホン版)

ただ、この機種には裏切られた。

小さいのは良かったが、感度が前機種に比べてとても悪かった。

自宅で入りずらく、半年で機種変更。

この件でパナソニックは懲りたので、

遂に待望の折りたたみ、NEC製DP-113

(ドコモのデジタルムーバN201HYPER 相当)に。

これは気に入って、1年半使った。

折りたためばポケットにすっぽり入るコンパクトさ。

当時2行表示が当たり前だった液晶は、3行表示で、

感度も良く、今まで使った機種で、ベスト3に入る俺的には名機だ。


このころ、デジタルホンが他社に先駆けメールの普及に乗り出す。

スカイウォーカーなるネーミングで、一気に普及する。

それならとばかり、相変わらずへそ曲がりな俺は暴挙に出る。

ひときわ異色の端末、パイオニア製DP-212 だ。

まだまだ携帯の液晶が小さい時代に、

携帯本体のテンキー部分まで全面フルドットマトリクスの4階調液晶、

ELバックライト、しかもタッチパネルになっているという、

誰が見ても変わり種の端末を手にする。

メールの全文が一気に読めるし、

とても使いずらかったがタッチパネルにスタイラスで入力という、

ハイテク好きの俺の心を掴んで離さなかった。

これを目にした人は、なにそれ!?と一様に驚いたのが嬉しかった。

それに、他人が持っているのを見たことがないのがまたイイ。

この機種から3機種連続でパイオニア製を次々と機種変した。

ブランドがJ-PHONEになって最初の端末、J-PE01

より小型化された、J-PE02 だ。もう半年ごとに機種変してたな。

このころは、機種変更価格が一律¥7,000で、安かったんだよね。

このあとで、現在の機種変更料金体系ができて、

頻繁に機種変更できなくなってくる。


次のパイオニアの機種に期待したのだが、

なんて事のない平凡な端末に成り下がってしまったので、

ふたたび使いやすさから折りたたみ機種J-N03 に。

初めてのカラー液晶で、デザインはまさにNそのものなんだけど、

当時爆発的ヒットを誇った、ドコモのN502it HYPERの劣化版と言われていたが、

まさにその通りだった。このころ仕事で502itを使っていたからよくわかる。

勝っているのは、着メロが16和音に対応していたことくらい(N502itは4和音)。

このころ、NECは露骨にドコモ向け端末との差別化を図った。

以前からドコモのファミリー企業、松下、NEC、三菱、富士通は、

ドコモ以外の端末は、発売時期を遅らせたり、

同じフェースの機種でも、ドコモ以外には若干重量を重くしたり、

と言う程度の差別ははあったが、

ここまで露骨に劣化させた端末は前機種J-N02 とこれぐらいだろう。

それでもN502itとほぼ同じシャシを使っていたため、

普通のNとちょっと違うという、へそ曲がりにとっては嬉しい言葉が聞かれたものだ。

俺にとってこの感覚はわりと大事で、ちょっと違うNという響きにあこがれて、

劣化版だろうが何だろうが、現在に至るまでN街道をばく進する。

本当にひどい劣化版は、このJ-N03のみで、

この次に機種変更したJ-N05 は、かなり力が入ったものだった。

それまでのあらゆるNとは明らかに違うずんぐりとしたフォルム、

当時写メールで押していたイケイケのJ-PHONEだったせいなのか、

なんとNEC携帯初のカメラ付き、当時としては、シャープ製端末より精細な液晶、

キーイルミネーションは、RGB-LEDを使って、好みに応じて8色から選べる、

など、知る人ぞ知る力の入った端末だった。

また、バッテリーが驚異的に持続するのも良かった。

この機種は、ドコモ向けのどの端末にも該当するものがなく、

ヒンジの方向が逆だったりして、完全なJ-PHONE向けのオリジナルだ。

この端末も俺的には歴代2位に入るお気に入りで、

いまだにプリペイド端末として現役だ。

この次に機種変更したのはJ-N51J-PHONE向けで初めてのパケット機。

ドコモのN504is そっくりで、やはりちょっと違うところに惹かれた。

この機種は、J-PHONE向けのNでは今でも評判が良く、

N504is同様のマグネシウム合金のシャシ、

洗練されたデザインで、俺もなかなかのお気に入りだ。

背面液晶は、1.2インチTFTの精細な液晶で、

当時の全ての機種と比較してももっとも美しく、N504isに勝っている点だった。

そうそう、カメラも504より優れていたな。


そして現在は、俺としては初めての3G機種、

vodafone 802N だ。

NECとしてはvodafoneブランドとして初めての端末で、

とにかくデザインが気に入っている。

この機種はハードウェアに関しては、J-N05以来の完全オリジナルで、

こんなデザイン他にはない。

洗練された中にも個性があって、色もいい。

ソフト部分に関しては、ウェブ・メールまわりとメニューの第1階層は、

悪評高いVODAFONE世界共通仕様だが、

第2階層以降、なんとドコモのFOMA・N900iとほぼ同じだ。

これまでの歴史の中で、ソフトウェアがドコモ向けと共通なのは、

2.5G以降では初めてではないだろうか。

そんなこんなで、802Nも気に入っている。

ネット上では、評判の非常に悪い端末で、不具合が非常に多いと聞くが、

俺の個体は言われているような不具合らしい不具合はない。

使用期間で言えば、プリペイド登録したJ-N05を除けば、

歴代機種過去最長である。


そして、この次の機種変は?

vodafoneのNは、703N804N が出て、

昨日、初のSOFTBANKブランドの705N が発表になった。

703Nは802Nのボディーのみ変更した手抜き機種、

804Nは、海外向N600の焼き直しで、あまり魅力がない。

日本人向きじゃないんだよね、全体が。そのチープなデザインに、がっかりだ。

J-PHONE~VODA向けNは、歴代デザインだけは良かったんだけど、

この2機種については買う気がしなかった。

じゃあ、SOFTBANKになって、

デザインがなかななの705Nに期待したいところだが、

700番台と言うことで、新サービスに殆ど対応していないなど、

ちょっと俺的にいまふたつ、と言ったところだ。

俺的に行き場がない状況で、

このまましばらく802N行くか、MNPを利用するかで悩む。

とは言っても、MNPまでまだ1ヶ月近く、このままでは差し支えるので、

802Nは修理へ出した。

さて、vodafone改めSOFTBANKは、

NEC製の力の入った端末を今後出してくれるのか気になるところだ。

噂では800番台のNを開発中とか・・・。

出ないとわかった時が、MNPを利用する時なのかもしれない。

ただ、俺的に古巣のパナソニックの再参入(昨日705P 発表、これはかっこいい)で、

NだけでなくPのハイエンド端末が今後出るのかも気になるところ。

このどちらかで800番台以上の機種が出たら、機種変しますよ、孫さん。


携帯選び

要塞ルーム完成

書斎コーナー完成!!


書斎コーナー





















懸案だった書斎デスク をネット通販で購入書斎デスク

なかなかのデザインだし、なにより購入の決め手は、

キーボード収納用の引き出しが付いていること。

それにチェストを別に購入する必要もないことを考えると、

安いと思える買い物だった。


で、このデスク、組み立てがオプション。費用が10,500円かかる。

高い!!

大人2人で組み立てても、2時間程度かかるそうだ。

俺1人だと4時間!!も掛かることになる。

まあ、休みの日にのんびり組み立てればいいか、と考え、

組み立てサービスは申し込まなかった。


で、いざものが届いてみると、デカイ、そして重い!!

重さが80Kgくらいあり、その大きさも相まって、1人で運ぶことすらできない。

仕方なく、部品を小分けして運ぶことにした。

階段を5往復はしたな。この時点でへとへと。


いざ組み立て始めると、これが結構大変だ。

組み立て説明書は丁寧にわかりやすく書いてあるものの、

ホームセンターで売っている組み立て家具とは訳が違う。

素人さんが組み立てるのはかなり難しいんじゃないだろうか。

たとえば、デスク天版と飾り縁の組み立てなんかは、

面出しが(つなぎ目のすき間や段差を均一に保つこと)必要で、

こんな指示は図面に載っていない。

こういう事を知らないと、完成時の仕上がりが悪くなるのだ。

幸い俺は、技術屋さん。図面を見るのも慣れているので、

割とスムーズに完成した。

でも、たっぷり4時間は掛かりました。

本当、大変だったよ。

でも完成した喜びは予想以上に大きい。

部屋の感じにぴったりだったからね。


そしてしばらく放っておいたメインパソコン&周辺機器をセットして完成。


書斎コーナー


と同時に、俺の要塞ルームも完成した。

誰にも干渉されない、自分の居場所が持てたようで、

今は家に帰るのが楽しみになった。



限界点

インターネットを始めて、もう10年以上になる。

早いものだ。

当時のインターネット事情は、そりゃのどかなものだった。

アドレスは手打ち、ほどなくYAHOOが登場し、

ホームページの検索という概念が生まれ、

それまでアドレスをいちいち打っていた煩わしさから解放され、

すげー便利と感動したころだ。

接続方法はダイアルアップのみ、

モデムは最新のパソコンに搭載されたものでも14.4Kbps、

2ちゃんねるはまだ存在せず、

ホームページの数ももまばら、

大手の企業ですらホームページがないことが珍しくなく、

BBSやチャットはプロバイダのホームページにあったくらい。


とは言っても、当時既に個人でホームページを開設し、

BBSやチャットを一つのコンテンツとして取り入れている人も、

少なからずいた。

その一つのあるホームページ(現存してます)の掲示板に、

俺はお世話になっていた。

そこではホームページのコンセプトである、

あるテーマに沿った話や、議論がなされていた。

当時は、現在の2ちゃんねるに代表されるような、

匿名による無責任な書き込みは殆どなく、

有意義な議論ができたものだ。

自分の考えを一生懸命書いて、見てくれる人達に伝える、

この、今となっては当たり前のようなことが、

当時は、インターネットの醍醐味の一つとして興奮を覚えたものだ。

とにかく楽しくて仕方がなかった。


自分の考えを言葉に書いて伝えること。

みんなからの反応を楽しんだり、勉強させてもらったり、

でも、中にはどうしても理解を得られない人がいることもある。

いろいろな人がいて、いろいろな考えがある。

それは仕方がないことた。

しかしやっかいなのは、議論が白熱すると冷静さを失う人だ。

今ほどではないが、少なからずいた。

自分の文章力にも問題があるが、

自分の書いた文章を誤解して、勝手に怒っている人。

で、そういう人たちに冷静になってもらおうと、

また一生懸命書く。

さらに誤解を招く。

なぜ??

結論は簡単、俺の考えを誤解しているのではなく、

文意を誤読しているのだ。

この誤読、相手の読解力によるところが大きく、

文章だけで伝えるBBSでは、限界を感じたものだ。

このことで、インターネットコミュニティーには限界があることを知った。


そして現在、インターネットは誰でも楽しむ時代になった。

大衆化。

2ちゃんねるはまさにその象徴で、

匿名による、無秩序な書き込みが氾濫する。

まぁ、中にはまじめに書く人、

有益な情報も隠れてはいるが少数だろう。

ただ、この無秩序、無責任な書き込みを俺は否定しない。

匿名掲示板は、本音が書ける。

ここに書かれたことは、全て本音なのだ。

そして、毎日、他のホームページの追随を許さない猛烈なページビュー。

ある意味ここに書かれたことは、大衆の本音、

言い換えれば総意なのだ。

この掲示板を否定すると言うことは、

臭いものに蓋をするのと同じ事。

世の中、きれい事だけではないことを2ちゃんねるは教えてくれるのだ。


そんな、誰でも書き込める時代になって久しいが、

最近驚いたことがあった。

俺の書いた意見に、論点が外れた反論がついた。

まあ、これは昔から良くあることだが、

よくよくその反論意見を読んでみると、

誤読どころか、俺の文章を良く読んでいないのだ。

俺が全くふれていないことに、反論しているのだ。

勝手な解釈にもほどがある。

いったいどこを読んでいるんだろう?

これではこちらの反論のしようがない。

ならばとばかり、もう一度自分の考えをわかりやすく説明する、

すると、またもや自分が全くふれていないことに対して怒ってらっしゃる。

もちろん、自分の文章表現の下手さは十分認識している。

しかし、自分の文章を読み返してもそれほどおかしいとも思えないし、

難しくもない。

あきれると同時に、

こういう人たちに正しく伝えることのできない自分の文章力を、

悲しく思ったのだ。

結局、大衆化とはこのことかもしれない。

だれもが、ということは、こういう事なのだろう。

インターネットコミュニティーの限界点は、

10年前に比べて大幅に低下した事を実感した出来事だった。

ただいま

急な出張で家を3日ほど空けた。

今帰ったところ。

自分の仕事が山積みなのに一時ストップ。

勘弁しくれ~。

そしてそのまま、いよいよ怒濤の1ヶ月連続夜勤が始まるのであった。


さーて、撮りためたビデオでも見るとするか。

つかの間の休息はリラックスするに限る。



ブログのススメ

ブログを書き始めて、約3ヶ月になる。

当初の目的は達成した、と言うより目的以上の成果があった、

俺的にはね。


このまま時間を削って続けることに意味を見出すのが難しい状況。

ネタはいっぱいあるんだけどね。

とにかく時間がない。特に平日。

毎日まめに更新する人を尊敬します。


モチベーションを保つには、

あちらこちらで思いっきり宣伝して、訪問者を沢山募るのもひとつの方法。

でも、まめじゃない俺はいちいち増えるコメントに返答するのも面倒だし、

やっぱり今ぐらいが一番いいような。

愛殿のブログに出入りするだけだが、そこから毎日いくらかの訪問者がいるようだ。

定期的に見に来る人も少なからずいてくれている。

物好きといっては失礼だが、俺の文章面白くないんじゃない?

だって、ストレス解消のための殴り書きみたいなものだからね。


ただ言える事、それは書くことは楽しい。時間を削ってでも。

モチベーションを保つ唯一の方法、それは楽しく書くこと、俺的にはそれしかない。

それに、ストレス解消には書くことが一番だ。


と言うわけで、まだまだ続けます。

まあ、最初からやめるつもりはまったくなかったんだけどね。


でもよく3ヶ月も続いたと思います。エライエライ。


こういっては大げさだけど、自分の生きてきた証が残せるようで、

ブログっていいですよ。

ROM専の人も、自分の言葉でブログを書いてはいかがでしょう?

上手いとか下手とかじゃなくて、自分の言葉で書けばいいのです。

俺のように、自分だけの秘密の日記的なものでもいいです。

意外にも文才があって、大人気ブロガーになれたりしてね。

どこに可能性が転がっているか解からない、要はチャレンジです。

諦めちゃだめです。


ほら、そこでプラスチックを加工している職場のPCで見ている亭主、

会社のデスクのPCで見ている奥さん、

さあ、書いた書いた!

更新お知らせメール

写真を挿入すると、レイアウトが崩れるんだよね。

アップ直前の確認画面で問題なくても、

アップすると、あれれれ・・・。

タグを直接いじるのは頭が痛くなって面倒だし、

アップ画面を見ながら、微調整。


微調整すること数回。

やっと完全なレイアウトに。

そしてどうやら、更新するたびに、

更新お知らせメールが飛ぶようだ。


愛殿、もしたくさんの更新お知らせメール受信していたらごめんなさい。

今後も、写真挿入時にはたくさんメールが届くかも。あしからず。

秋の気配

港の見える丘公園1

山下公園の駐車場に車を停め、しばらく歩く。

中華街を掠め、元町通りを抜け、急な坂道をのぼる。

外人墓地を横目に見ながら、港が見下ろせる小高い公園へ。


俺の好きな散歩道だ。と言っても、頻繁に行っているわけではない。

たまに行くくらい。飽きない程度に。


で、この公園、その名も港の見える丘公園。

そのままと言えばそうなのだが、なんかいいよね、このネーミング。

横浜のセンスを感じる。




港の見える丘公園2

横浜は、街の佇まいがいい。

風情があると言ったらおかしいのかな、

俺的には、なんとも表現のしようがない、魅力的な街だ。

街じゅうどこを切り取っても絵になるような、おしゃれな街。

こんな街、日本広しといえども他にはなかなかないだろう。


東京もいい、刺激がいっぱいあってこれはこれで素敵な街だ。

でも、住む所じゃない、常々そう思う。

横浜は住んでみたいと思える街なのだ。




公園には、いろいろな人たちがいる。ベイブリッジ

恋人同士はもちろん、家族連れ、老夫婦、観光客、犬の散歩の途中、

どの人たちを見ていても微笑ましい。

きっと、いろいろと楽しげな話を語り合っているんだろうな、

そう、ここは平和そのもの。


そんな光景を目にしていると、日本は本当に平和な国だとつくづく思う。

俺はこの国が、わりと好きなのだ。


いつもの好きな散歩道を歩いて思ったこと、

この平和がいつまでも続きますように・・・・、



秋の気配を感じながら・・・。

かわいい植木屋さん

家を建て替えてから、外構が手つかずで殺風景に思っていたので、

シンボルツリーでも植えようかと思い、

前々から気になっていた近所の植木屋さんへ行ってみた。


店内には所狭しとあるわあるわで、草木の知識が全くない俺は、

店員に聞いてみようと辺りを見回す。が、見あたらない、

店内には、初老のご夫婦と、

中年女性とその娘さんといった風の4人の客が品選びをしていた。

客がいるのに店を空けるなんて、随分不用心だなと思いつつ、

店員が来るまでもう少し見てみようと、店内をうろうろする。

しかし、草木って言うのは随分と値段が安いんだな、

こんなんで食っていけるのかななどと余計な心配をしつつふと辺りを見回すと、

客は俺一人に。

店員がいないのでは仕方ない、出直すかと思いながらふとレジの方を見ると、

先ほどの親子連れの娘さん風の方がなにやら仕事をしているのだ。

「えっ、この人が店員」


歳は見た目で20歳すぎ、髪は背中で束ねた長めの茶髪、

いかにも今時のナウなヤングと言った感じだ。

こんな娘で大丈夫?と思いつつも、店員なのだからと声をかけてみる。


「いらっしゃいませ」

「家の庭先にシンボルツリーを植えたいんだけど、全くわからなくて・・・。

 なるべく手間のかからないヤツで」

「花は咲く方がいいですか?」

「はい」

「常緑樹と落葉樹とありますが・・・」

「枯れ葉掃除が面倒なので常緑樹で」


こんなやりとりを交わしつつ、おすすめの植木がある場所まで案内してくれた。


てきぱきしてるな。


その他、綺麗な花がたくさん付く種類や病気に強い種類など、いくつか案内してくれた。

そして、植え方や剪定・手入れの仕方など、

俺の疑問にすらすらとわかりやすく答えてくれた。接客態度もいい。


この娘、プロだ。


まっ、店員なんだから当然といえば当然なんだけど、

とにかく若くて茶髪、一見アルバイト店員のような感じに見えたから、

ちょっと驚いてしまったのだ。

人間、見た目じゃわからないというのは、まさにこのことなんだろう。


ただ一つ、苦言を呈するなら、店内に流れる有線のBGM、

彼女の趣味なのか、ずっとヒップホップ系が流れていた。

比較的お歳を召した方が客として多い植木屋さんに、

このBGMはないだろうと思ったが、それもご愛敬か。


なんかこの店気に入ったよ。

店主が、この娘一人で店を任すのがわかる気がする。

この日はバイクで行ってしまって、積めないので買えなかったが、

来週この店で買おうと決めたのであった。



結論:やっぱり若い女の子はいいなぁ(←結局それかい!!(笑))